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広島地方裁判所 昭和58年(ワ)1084号 判決 1990年6月29日

主文

一  被告は、原告に対し、金五〇〇万円及びこれに対する昭和五八年一一月五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、一二分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金五九五一万一五五七円及び内金三〇〇〇万円に対する昭和五八年一一月五日から、内金二九五一万一五五七円に対する昭和六一年一二月二二日から、各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

3  担保を条件とする仮執行の免脱宣言

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  原告の服役経過

原告(昭和一九年一一月二日生まれの男性)は、昭和五二年八月二九日、広島地方裁判所において、恐喝罪により懲役一年一〇月の刑の言渡しを受け、右刑は、控訴、上告を経て確定した。

右刑の確定後、原告は、昭和五三年七月二〇日、刑の執行を受けるため、広島拘置所(以下、拘置所という。)に確定懲役受刑者として収監され、同所での拘禁区分により同年八月一八日鳥取刑務所に移送され、同所で服役した。

原告は、同所で服役中であった同五四年五月二四日、慢性腎炎の悪化による腎不全のため広島刑務所医療センター(以下、医療センターという。)に移送され、以後、同センターで治療を受けた。しかし、原告の症状は改善せず、人工透析が必須のもの(末期腎不全)となったため、同年九月一八日、刑の執行停止により同センターから出所した。

2  原告に対する処遇と症状の推移

(一) 原告は、拘置所に収監される以前から慢性腎炎を患っていた。そこで、原告は、右収監に際して、広島高等検察庁及び拘置所に対し、自己が慢性腎炎であることを証明する診断書を添付し、これに対処するため医療設備の整った施設に収容するよう原告が服役する刑務所の選択につき配慮されたい旨の上申書を提出した。

これに対し、拘置所長は、検便、医師の問診、触診及び身体検査をなしたのみで、原告の服役場所を鳥取刑務所と定め、原告を同所に移送した。

(二)(1) 原告は、昭和五三年八月一八日、鳥取刑務所に入所し、翌一九日、同刑務所の法務技官である岩井博医師(以下、岩井医師という。)による健康診断を受けた。右健康診断の際、原告は岩井医師に対し、自己が慢性腎炎にかかっている事実を告げた。また、右健康診断の際になされた検査においても、尿蛋白が陽性である高血圧である等の慢性腎炎を示す検査結果が出ていた。

(2) にもかかわらず、原告は、分類審査の結果、健康な受刑者として同刑務所の雑居棟第四舎六室に収容され、洋裁工として第三工場に出役させられることとなった。これにより、原告は、同五四年一月四日まで通常の受刑者と同一の食事を与えられ、同様な労役作業に従事することを余儀なくされた。

(3) 原告の慢性腎炎は、右期間中に進行し、鳥取刑務所長は、同五四年一月五日以降、原告を病舎に収容した(ただし、同年二月七日から同月一三日までの間を除く。)。しかし、原告の症状が全く回復しなかったので、同長は、同年四月二四日、原告を医療センターに移送した。

(三) 右医療センターに収容された後も、原告の慢性腎炎は悪化の一途をたどり、人工透析が必要と認められる容態(末期腎不全)となった。このため、原告は、同五四年九月一八日刑の執行停止を受け、直ちに土谷病院に入院した。

3  関係人の過失

(一) 拘置所での処遇に関する過失

原告は、前記のとおり、拘置所に収監される時点で、自己が慢性腎炎を患っていることを証明する診断書を添付して、適切な治療行為を受けるため服役する刑務所の選択につき配慮を求める旨の上申書を提出した。

拘置所長は、原告の右申し出にもかかわらず、これを無視し、おざなりの健康診断をなしたのみで、原告に医療設備の整わない鳥取刑務所で服役させることに決定した。

(二) 鳥取刑務所での処遇に関する過失

(1) 岩井医師は、法務技官たる医師として、受刑者の健康保持に務め、その処遇についても受刑者の処遇について最終責任を負うべき刑務所長に対し適切な意見を具申すべき義務を負っていた。にもかかわらず、同医師は、前記のとおり、鳥取刑務所入所時の健康診断において、原告が慢性腎炎にかかっていることを自ら申告し、また慢性腎炎を疑うに十分な検査結果が出ていたにもかかわらず、これを無視しあるいは見過ごし、昭和五四年一月五日原告を病舎に収容するまでの間、医師として慢性腎炎の患者に対してすべき塩分制限等の高血圧対策、適切な薬物療法の実施および生活管理面での指示をすることを怠り、さらに、原告が慢性腎炎の患者であることに配慮した処遇をするよう求める意見の具申をすることも怠った。

(2) 鳥取刑務所長は、鳥取刑務所の最高責任者として、受刑者を適切に処遇しその健康を損なうことのないようにすべき義務があった。にもかかわらず、所長は、原告が慢性腎炎の患者であることを見過ごし、前記のとおり昭和五四年一月五日原告を病舎に収容するまでの間、労役、房舎内での生活、食事等において、原告を健康な受刑者と同様に処遇した。

4  因果関係

(一) 腎障害には、他の全身性疾患、例えば糖尿病、膠原病を原疾患として発症するもの(これを二次性という。)と腎疾患それ自体を原因として発症するもの(これを一次性という。)とがある。原告の場合は、原疾患が見当たらないので一次性の腎障害と考えられ、そのうちでもIgA腎症による慢性糸球体腎炎である可能性が最も高い。

右の慢性糸球体腎炎には「進行性」のものと「非進行性」のものとがある。「進行性」とは、適切な治療及び生活指導並びに右生活指導の遵守(以下、療養等という。)がなされたにもかかわらず、末期腎不全に至るものであり、慢性糸球体腎炎の内の二〇ないし三〇パーセントがこれに当たる。なお、慢性糸球体腎炎が「進行性」のものであったとしても、末期腎不全に至る時期を療養等により遅らせることは可能であるから、ここでも療養等が重要であることはいうまでもない。「非進行性」とは、療養等により腎炎の進行を止めることができるものであり、慢性糸球体腎炎の内の七〇ないし八〇パーセントを占める。ここで注意すべきは、「非進行性」とは、末期腎不全にならないことを意味するものではなく、「非進行性」のものであっても、療養等がなされず腎炎にとっての増悪原因となるものが加わったときには、進行が開始し末期腎不全に至る、ということである。

それでは、原告の慢性糸球体腎炎は、「進行性」のもの、「非進行性」のもののどちらであったのか。確率的には「非進行性」のもののほうがはるかに多いことは前記のとおりである。また、IgA腎症の予後は一般に良好とされている。さらに、原告の症状の推移から見ても、昭和五二年四月の時点での腎機能の低下が推認できるがその程度は極めて軽度であること、血圧も同五三年七月までの間、わずか一回の検査結果を除き、いずれの検査結果も正常値であったと認められること等からして、「進行性」であると疑う特別な所見は見当たらない。これらのことから見て、原告の慢性糸球体腎炎が「非進行性」のものであったことは明らかである。

(二) (一)で述べたとおり原告の腎炎は「非進行性」のものであった。にもかかわらず、前記3で述べた関係人の過失により、昭和五三年七月から一二月までの間、原告に対し、慢性腎炎の患者であることへの配慮を全く欠く、健康な受刑者に対するのと同様な処遇がなされた結果、腎炎の増悪要因である高血圧、代謝産物の増大、感染症が加わった。これにより原告の腎炎は進行を開始し、その後の治療も効を奏さず遂に人工透析を必要とする末期腎不全に至ったものである。したがって、前記関係人の過失と原告の現症状との間には因果関係があるものというべきである。

5  被告の責任

拘置所長、法務技官たる岩井医師及び鳥取刑務所長は、いずれも国の公務員であり、その職務として行われた受刑者たる原告に対する処遇及びその一環としての医療行為が公権力の行使に当たることは明らかである。したがって、被告は、国家賠償法一条により、原告が被った後記損害を賠償する責任がある。

6  損害

原告は、刑の執行停止により医療センターを出所して以来現在に至るまで、毎週三回、一回の所要時間が五時間にもわたる人工透析を受けてきている。また、食生活に関していうと、一日に塩分は三グラム、蛋白質は七〇グラム、カロリーは一八〇〇カロリー、水分は四〇〇ccしか摂取できず、生野菜や果物も食べられない状態である。この状態は一生涯続き改善する見込みはない。さらに、仕事に関していえば、特に軽易な労務以外は従事することができない状態にある。

(一) 逸失利益

原告の右状態からすると、原告は末期腎不全に至ったことにより、その労働能力の七九パーセントを喪失したものというべきである。したがって、原告の労働能力の喪失期間を二九年間とし(これに対応する新ホフマン係数一七・六二九を採用する。)、満三八歳の男性の平均給与額を年間金三五五万五一〇〇円として、原告の逸失利益を計算すると金四九五一万一五五七円となる。

(二) 慰藉料

原告の右状態が一生涯継続することからすると、その精神的苦痛には計り知れないものがあり、これに対する慰藉料は金一〇〇〇万円が相当である。

7  よって、原告は、被告に対し、国家賠償法一条に基づき、金五九五一万一五五七円及び内金三〇〇〇万円に対する訴状送達の日の翌日である昭和五八年一一月五日から、内金二九五一万一五五七円に対する請求拡張の日である同六一年一二月二二日から、各支払済みまでの民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1の事実は認める。

2  請求の原因2について

(一)(一)のうち、原告が拘置所に収監される以前から慢性腎炎を患っていた事実及び拘置所長が、検便、医師の問診、触診及び身体検査をして原告の服役場所を鳥取刑務所と定め、原告を同所に移送した事実は認める。その余の事実は否認する。

(二)(1) (二)(1)のうち、原告が昭和五三年八月一八日鳥取刑務所に入所し翌一九日同刑務所の法務技官である岩井医師による健康診断を受けた事実及び右健康診断の際になされた検査において尿蛋白が陽性であり高血圧であるとの結果が出た事実は認める。その余の事実は否認する。

(2) (二)(2)のうち、原告が分類審査の結果同刑務所の雑居棟第四舎六室に収容され洋裁工として第三工場に出役させられることとなった事実は認める。その余の事実は否認する。

(3) (二)(3)のうち、鳥取刑務所長が昭和五四年一月五日以降(ただし、同年二月七日から同月一三日までの間を除く。)原告を病舎に収容した事実及び原告の症状が回復しなかったので同年四月二四日原告を医療センターに移送した事実は認める。その余の事実は知らない。

(三) (三)の事実は認める。

3  請求の原因3について

(一) (一)の事実は否認する。

(二)(1) (二)(1)のうち、岩井医師が法務技官たる医師として受刑者の健康保持に務めその処遇についても刑務所長に対し適切な意見を具申すべき義務を負っていたこと、及び、岩井医師が、原告が慢性腎炎であることに配慮した処遇をすることを求める意見の具申を行わなかった事実は認める。その余の事実は否認する。

(2) (二)(2)のうち、鳥取刑務所長が同刑務所の最高責任者として受刑者を適切に処遇しその健康を損なうことのないようにすべき義務を負っていたことは認める。その余は争う。

4  請求の原因4(一)及び(二)はいずれも争う。

5  請求の原因5のうち、被告が国家賠償法一条により責任を負うとの主張は争う。その余は認める。

6  請求の原因6は争う。

三  被告の主張

1  拘置所長の服役刑務所の選択に過失があるとの主張に対して

原告の右主張は、原告が、拘置所に収監される際に、広島高等検察庁及び拘置所に対し、自己が慢性腎炎に罹患している事実を証明する診断書を添付して、医療設備の整った刑務所で服役できるよう配慮することを求める上申書を提出したとの事実を前提にしている。しかしながら、原告が右内容の上申書を提出した事実はない。原告が提出した上申書は、自己が経営する株式会社アトナシが原告となった民事訴訟が広島地方裁判所に係属しているので、出廷等の都合のため受刑地につき配慮されたい旨だけを記載した書面各一通である。したがって、右病状に関する上申書が提出されたことを根拠とする原告の主張は失当である。

2  鳥取刑務所内の処遇に過失があるとの主張に対して

(一) 岩井医師のなした処置

(1) 昭和五三年八月一九日の診断

岩井医師は、原告が鳥取刑務所に入所した日の翌日である昭和五三年八月一九日に原告に対する健康診断を行った。右診断の際になされた尿検査の結果、原告には高血圧(一六八~一〇八mmgH)と尿蛋白値(二〇+)についての異常が認められた。そこで、岩井医師が原告に対し問診すると、原告は「三年ほど前に急性の腎炎を患ったが、短期間で治癒し、現在は全く普通の生活をしている。食事制限等は行っていない。」と述べた。問診の結果が右のとおりであったことと、原告には浮腫等の慢性腎炎を患っていることを伺わせる外部的所見が認められなかったことから、岩井医師は、原告の症状を高血圧症と急性腎炎後残蛋白尿と診断し、腎炎を疑いつつも、とりあえず、血圧を下げる必要を認め降圧散を投与し、あわせて、醤油・ソース等塩分を多量に含む食品の摂取を控えるよう指導したうえ、経過観察を行うこととした。

(2) 経過観察中に採用された療法

<1> 食事療法

岩井医師は、前記のとおり、とりあえず降圧対策として減塩の指導による塩分の制限を実施した。右指導は、慢性腎炎の治療法としても、当時浮腫等の外部的所見がなかった原告に対するものとして適切なものである。

<2> 薬物療法

岩井医師は、原告について腎炎を疑ったので、前記のとおり入所当初より降圧療法を実施した。しかも、昭和五三年一〇月に入ってからは、腎血流を減らさない降圧剤であるアルドメット(メチルドーバ)あるいは利尿降圧剤であるポリレグロンを併用し、腎性高血圧に対処する治療を実施した。

<3> 安静及び感染症に対する療法

岩井医師は、通常は就床時間まで居室内においても横臥することが認められない刑務所内において、原告に対し、その申し出及び診察結果に応じて都合五・五日(昭和五三年九月四日〔半日〕、同年一〇月一四日〔半日〕、同月一五日及び三〇日〔いずれも一日〕、同年一二月二二日〔半日〕、同月二三日及び二四日〔いずれも一日〕)の横臥の許可を与えた。また、原告が、同年一一月一日、感冒性腸炎にかかった際も、感染症の腎炎に与える影響を考慮して、入浴・運動を禁止したうえ、七日間の絶対安静による休養処遇を指示した。

以上のとおり、岩井医師の原告に対する処遇には過失はなかった。

(二) 鳥取刑務所長のなした処遇

(1) 昭和五三年八月二四日の分類審査

昭和五三年八月二四日に行われた鳥取刑務所での分類審査会において、原告の工場出役についての審査が行われた。原告は、右審査の席でも自己の健康状態について特段の申立てをしなかった。そこで、鳥取刑務所長は、岩井医師による前記健康診断の結果も斟酌して、原告を同刑務所雑居棟第四舎六室に収容し、洋裁工として第三工場に出役させることにした。

(2) その後の原告に対する処遇

<1> 労役作業の内容

原告の作業内容は、雨ガッパの部分縫製作業で、部分縫いした雨ガッパを順次縫い合わせて一枚の雨ガッパに仕上げるものであり、その作業量は、一般に婦女子が家庭内で行う内職程度の軽作業であって、もとより慢性腎炎の増悪要因とされている過重な労働ではない。

<2> 処遇環境

鳥取刑務所は、昭和五三年ころ竣工した新しい施設で、原告が出役していた第三工場は、スレート葺の鉄筋平家建で、天井には断熱材が使用されており、壁はモルタルスレート張り、床は木造一部モルタル造りである。また、冬季(おおむね一一月中旬から翌年の三月末ころまで)は工場の中央部に大型石油ストーブが設置されており、就業者の暖房にもできる限りの配慮がされていた。

原告を収容していた房は、モルタル造りで、外部に向かっては一面に鉄サッシの窓が設けられており、すきま風が入る余地などはなかった。

<3> 食事内容

鳥取刑務所では、食事内容については、鳥取刑務所給食委員会を設け、食事内容を審議していた。右委員会において、受刑者の一日の塩分の摂取量は一五グラム以下に定められており、一般社会のそれと対比して特に塩分の多い食事が支給されていたわけではない。

以上のとおり、鳥取刑務所長の原告に対する処遇に過失はなかった。

3  因果関係について

(一) 原告の腎炎の性質

慢性腎炎は、腎機能が正常で進行性がなく予後が良好なものと、腎機能障害を認め、しばしばネフローゼ症候群や高血圧症を示す進行性のものとがある。原告の腎炎は、同人が昭和五〇年八月の時点で既に高血圧の状態にあったこと、同五二年四月二五日、当時原告が通院加療を受けていた土谷病院で検査した結果、尿蛋白が陽性であり、尿沈査で赤血球を四~五個と顆粒円柱を認めたこと、その後の検査結果でも尿蛋白が常に陽性であり高血圧が持続したこと、結果として腎機能が低下し末期腎不全に至ったこと及び昭和五四年五月ころネフローゼ症候群を呈したことから見て、進行性の腎炎であったことは確実である。

(二) 原告が主張する過失と原告が末期腎不全(人工透析を必須とする症状)に至ったこととの因果関係

進行性腎炎については、今日の医学をもってしても、その進行を食い止め、末期腎不全への移行を阻止する治療法は確立されていない。ただし、例外的に、ごく初期の段階で腎炎が発見された場合については、副腎皮質ステロイドホルモン療法等の特殊薬物療法を施すことにより蛋白尿及び血尿に対する減少効果を認めた症例が報告されているが、原告については、拘置所収監当時には既に右早期発見の時期を徒過しており、かつ当時は右療法は一般には試みられるに至っていなかった。したがって、原告が主張する過失が仮に認められたとしても、右過失と原告が末期腎不全に至ったこととの間には因果関係は認められない。

(三) 原告が主張する過失と原告が昭和五四年九月の時点で末期腎不全(人工透析を必要とする症状)に至ったこととの因果関係

進行性の慢性腎炎の進展に寄与する最大の因子は、患者自身のいわゆるナチュラルヒストリーすなわち腎炎本来が有する病変そのものである。原告の鳥取刑務所及び医療センターにおける病状の変化、特に昭和五三年一二月二五日以降腎炎が急速に進行していることからすると、原告の罹患していた腎炎がいったん増悪し始めると急速に進展するナチュラルヒストリーを有する急速進行型の腎炎であったことは確実である。この場合、いえるのは、原告が鳥取刑務所入所の時点から腎疾患の専門病院で治療を受けていたとしたら人工透析を必須とする症状に至る期間をあるいは数箇月程度遅らすことができたかもしれない、という程度のことである。したがって、原告が主張する過失が仮に認められたとしても、右過失と原告が昭和五四年九月の時点で人工透析を必須とする症状に至ったこととの間には因果関係はない。

4  損害について

本件において、原告が人工透析を受けるに至ったことにより、相当程度の労働能力が失われたとしても、何らかの理由で具体的な収入に減少が生じていない場合には、損害があったものとはいえない。ところが、原告は、現在自営業を営み相当程度の収入を得ていることが推認できるにもかかわらず、右現実の収入の差額につき具体的な主張、立証をしない。したがって、原告主張の損害は認められない。

四  被告の主張に対する認否

1  被告の主張1は争う。原告が被告主張の上申書を提出したのは事実である。しかし、原告は、そのほかに原告主張の上申書をも提出した。

2  被告の主張2について

(一)(1) (一)(1)のうち、原告には高血圧と尿蛋白値の異常が認められたこと及び岩井医師が降圧散を投与したことは認める。その余は否認する。

(2) (一)(2)は争う。

(二) (1) (二)(1)のうち、原告が鳥取刑務所雑居棟第四舎六室に収容され、洋裁工として第三工場に出役させられたことは認める。その余は否認する。

(2) (二)(2)<1>のうち、原告の作業内容が、雨ガッパの部分縫製作業で、部分縫いした雨ガッパを順次縫い合わせて一枚の雨ガッパに仕上げるものであったことは認める。その余は争う。<2>のうち、原告が出役していた第三工場につき、就業者の暖房にもできる限りの配慮がなされていたとの主張、及び、原告を収容していた房につき、すきま風が入る余地などはなかったとの主張は争う。<3>のうち、受刑者の一日の塩分の摂取量は一五グラム以下に定められており、一般社会のそれと対比して特に塩分の多い食事が支給されていたわけではない、との主張は争う。受刑者の一日の塩分の摂取量が一五グラム以下に定められていた事実はない。

3  被告の主張3について

3(一)ないし(三)はいずれも争う。

4  被告の主張4は争う。

第三  証拠<省略>

理由

一  原告の服役経過

請求の原因1の事実は当事者間に争いがない。

二  原告に対する処遇と病状の推移

1  拘置所での処遇

(一)  原告が拘置所に収監される以前から慢性腎炎を患っていた事実並びに拘置所長が原告に対する検便、医師の問診、触診及び身体検査をなし、原告の服役場所を鳥取刑務所と定め、原告を同所に移送した事実は当事者間に争いがない。

(二)  原告は、拘置所に収監されるに際して、広島高等検察庁及び拘置所に対し、自己が慢性腎炎であることを証明する診断書を添付して、医療設備の整った刑務所に収容されたいとの趣旨の上申書を提出した旨主張し、原告本人尋問の結果中には右主張に沿う供述部分がある。

しかしながら、右供述部分は採用できない。すなわち、一方で<証拠略>によれば、原告は、拘置所に収監されるに際し、自己が代表者となっている株式会社アトナシが原告となった民事訴訟が広島地方裁判所に係属しているので出廷等の都合のため受刑地につき配慮されたい旨を記載した上申書を、広島高等検察庁検察官及び拘置所長宛てに各一通提出していることが認められ、他方右各上申書<書証番号略>の体裁・内容から見て、仮に原告が右主張のような内容の上申を意図していたなら右上申書中に併せてその旨を記載するのが通常と思われ、これらとは別に病状の件のみを記載した上申書を提出するとは考えにくいといわざるを得ないからである(原告本人尋問の結果全体を検討しても、右疑問を解消するだけの資料は見出せない。なお、原告本人尋問の結果全体からは、原告自身、拘禁される前後を通じて、自己の慢性腎炎につき簡単にしか考えていなかったことが伺われる。)。他にも、原告が主張する上申書が提出されたことを認めるに足りる証拠はない。むしろ、右に述べたところを前提にすると、逆に、右上申書が提出された事実はないことを、弁論の全趣旨により認定してよいと思われる。

2  鳥取刑務所での処遇と病状の推移

(一)  <1>原告が昭和五三年八月一八日鳥取刑務所に入所し、翌一九日、同刑務所の法務技官である岩井医師による健康診断を受けたこと、<2>右健康診断の際になされた検査の結果尿蛋白が陽性であり高血圧であることが明らかとなったこと、<3>原告が鳥取刑務所の分類審査の結果同刑務所の雑居棟第四舎六室に収容され洋裁工として第三工場に出役させられることになったこと、<4>鳥取刑務所長は昭和五四年一月五日原告を病舎に収容し以後これを続けたこと(ただし、同年二月七日から同月一三日までの間を除く。)、及び、<5>鳥取刑務所長は原告の症状が回復しなかったので同年四月一四日原告を医療センターに移送したことは、当事者間に争いがない。

(二)  <証拠略>並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。<証拠略>中右認定に反する部分はいずれも右各証拠に照らして採用できず、他にも右認定の妨げとなる証拠はない。

(1) 原告の病状経過

昭和五二年四月二五日から同五四年九月一八日までの間の、原告に関する、血圧・尿素窒素・クレアチニン・尿蛋白の各測定値は、別表病状データグラフ表<略>のとおりである。なお、土谷病院のカルテ(<書証番号略>)の昭和五二年四月二五日の欄には、原告が昭和五〇年八月に高血圧(二一〇~一二〇mmgH)を指摘された旨の記載がある。

さらに、昭和五二年四月二五日から鳥取刑務所の病舎に収容される同五四年一月五日までの間に、原告に関する外部所見及び主訴として証拠上認められる変化は次のとおりである。

昭和五二年四月二五日顔面に浮腫

同五三年八月一九日時々頭痛心音準下肢浮腫無し

同年九月四日 頭痛

同年九月二七日 頭痛

同年一〇月一一日 頭痛 発疹

同年一〇月三〇日 感冒 咽頭発赤

同年一一月一日 感冒性腸炎 下痢

同年一一月九日 頭痛

同年一二月一八日 頭痛

同年一二月一九日 心悸亢進

同年一二月二〇日 頭痛

同年一二月二二日 強度の頭痛 項部強直

同年一二月二三日 頭痛 膝蓋腱反射亢進

同五四年一月五日 下腿浮腫(一月四日から)下腿倦怠感

(2) 岩井医師の昭和五三年八月一九日の診断

昭和五三年八月一九日、鳥取刑務所で岩井医師による原告に対する健康診断が行われた。

原告は、まず、岩井医師が診察する前に看護士により行われた既往歴についての問診の際に、看護士に対し、自己が三二歳のときに腎炎に罹患したことがある旨を告げた。岩井医師は、原告の右申し出により尿検査を実施した結果尿蛋白が陽性(二〇+)であったこと及び血圧測定の結果血圧が一六八~一〇八mmgHであったことから、原告に対し、腎炎の症状とその後の経過について問いただした。これに対し、原告は、「かつて、医師から腎炎であるとの指摘を受けたことがあり、時々頭痛がする。しかし、医師から特に生活指導をされたようなことはないし、食事制限等もしていない。」旨を答えた。岩井医師は、尿蛋白と高血圧が腎炎によるものではないかとの一応の疑いは持ったものの、右問診の結果と原告には右時点では浮腫等腎疾患を疑わせる外部所見がなかったとの事実とから、原告を腎炎であるとは診断せず、また、この時点で生化学検査等の更に詳しい腎機能検査をするまでの必要はないとの判断をし、高血圧に対処することが腎炎に対する対症療法でもあるとの考えの下に、とりあえず高血圧に対する処置として降圧散(鳥取刑務所で処方した血圧降下剤)を投与して様子を見ることとし、原告に対しては、「あまり辛い物を食べると血圧によくないから醤油やソースの使用は控えめにするように」との指示を与えたのみで、健康診断を終えた。

(3) 岩井医師がなしたその後の治療

岩井医師は、原告の高血圧に対処するため、定期の血圧測定以外にも血圧の測定を行い、降圧散及びアルドメッド、ポリレグロン等の降圧剤を投与し続けた。しかし、原告の血圧は、別表<略>表示の測定値のとおりであり、下がらなかった。

なお、岩井医師は、原告が感冒性腸炎にかかった昭和五三年一一月一日から同月七日までは、一応は疑っていた腎炎に与える悪影響をも考慮して、休養処遇を指示して病舎に収容したほか、安静のため、同年九月四日から同年一二月二四日までの間に、原告に対し、合計五・五日間通常の受刑者には禁じられている就床時間前に居室内で横臥することの許可を与えた。

(4) 病舎への収容とその後の経過

岩井医師は、前記治療にもかかわらず、原告が度々頭痛を訴え血圧も高いままであったので、昭和五三年一二月二二日、再び尿検査を行った。その結果、尿蛋白量が増量(三〇+)していることが明らかとなった。そこで、同医師は、腎機能の生化学的検査が必要であると判断し、鳥取市立病院に検査を依頼してこれを実施した。その結果では、尿素窒素とクレアチニン値が別表表示のとおり異常値を示した。さらに、同五四年一月五日の診察で浮腫が現れていることが認められた。岩井医師は、この時点で、原告が慢性腎炎にかかっているとの確定診断をつけ、同人を病舎に収容した。

岩井医師は、その後も、病舎で治療を続けたが、腎疾患を示す各検査値は、別表のとおりであり、下がらず、腎機能の低下も認められたので、鳥取刑務所での処遇は困難であると考え、中国管内では医療設備が整っている医療センターへ移送すべきであるとの方針を決定した。

3  <証拠略>によれば、鳥取刑務所入所後昭和五四年一月五日までの間の原告に対する処遇及び鳥取刑務所の処遇環境につき、以下の事実が認められる。<証拠略>中右認定に反する部分はいずれも右各証拠に照らして採用できず、他にも右認定の妨げとなる証拠はない。

(一)  原告の処遇分類

原告は、昭和五三年八月二四日に行われた分類審査において、健康状態に問題はなく労役に耐えられるものと判断され、同刑務所の雑居棟第四舎六室に収容され、洋裁工として第三工場に出役させられることになった。

(二)  日常生活の時間割り

原告が鳥取刑務所に収容されていた当時の受刑者の起床から就寝までの生活日程は、別紙収容者動作時限表<略>のとおりである。

(三)  居住環境

雑居棟第四舎は、モルタル造りで、外部に向かっては鉄サッシの窓が、廊下側には視察窓が付いたドアーと食器孔がある。床は、コンクリートの上に木材の床を造り、その上にござが敷いてある。一室には、原則として八人の受刑者が収容されている。暖房設備はあるが、実際には使用されていない。受刑者は、舎房にいる間も、就寝時間を除いては、横になることはできない。冬季の就寝時のために支給される寝具は、敷き布団、毛布及び掛け布団が各一枚である。衣類は、上がシャツが二枚ないし三枚と上着とチョッキ、下がパンツ、パッチ、ズボン及び靴下が貸与されていた。

(四)  就労環境

原告が従事していた作業は、雨ガッパの部分縫製作業で、部分縫いした雨ガッパをミシンを使って順次縫い合わせて一枚の雨ガッパに仕上げるものである。作業は、流れ作業で行われた。

原告が右作業に従事した第三工場は、スレート葺の鉄骨平家建で、天井には断熱材が使用されており、壁はモルタルスレート張り、床は木造一部モルタル造りである。床面積は約三八七・五平方メートルであり、暖房設備としては、工場の中央部分に大型の石油ストーブが一台備え付けられていた。

なお、受刑者は、右工場に出入りする都度、工場内にある検身場でいったん裸身になり、検身を受けていた。

(五)  食事内容

受刑者の食事は、朝食と夕食は各舎房で、昼食は工場で行われ、給食当番が一括して炊事場から持ってきたものを各人の食器に平等に盛り付けることになっている。各舎房には、醤油とソースが備え付けられており、各人がこれにより好みに合わせた味付けをする。

食事内容は、鳥取刑務所内に設置された給食献立委員会が決定し、実際の調理は、刑務所職員の指導により受刑者が行う。しかし、栄養士等の専門家が実際の調理内容に携わっていたことはなく、本件で、原告が収容されていた当時に支給されていた食事に塩分がどの程度含まれていたかを認定できる証拠はない。

(六)  鳥取市の気象状況

原告が鳥取刑務所に入所していた期間における、鳥取市吉方一〇九番地所在の鳥取地方気象台における一日の最高気温及び最低気温は別紙気温表<略>のとおりである。

三  過失(被告側の義務違反行為)

右認定事実を前提に関係人の過失について判断する。

1  拘置所長の過失

原告は、拘置所に収監される際に、原告が拘置所及び広島高等検察庁に対し病状に対する上申をしたとの事実を前提にして、拘置所長の原告に関する服役刑務所の選択に過失があった旨主張する。しかし、原告が右趣旨の上申をしたとの事実が認定できないことは前記のとおりである。他にも、右時点で、拘置所長が服役場所の選択に関し、原告の病状を考慮しなければならなかったことを示す事情を認めるに足りる証拠はない。したがって、原告の右主張は採用できない。

2  岩井医師の過失

(一)  岩井医師が、法務技官たる医師として、受刑者の健康保持に細心の注意を払い、その処遇についても刑務所長に対し適切な意見を具申すべき義務を負っていたことは明らかである。

(二)  原告は、岩井医師が、昭和五三年八月一九日に原告に対して実施した健康診断の際に、原告が慢性腎炎にかかっていることを見過ごし、同五四年一月五日原告を病舎に収容するまでの間、法務技官としてなすべき処置を怠った旨主張するので、これにつき判断する。

(1) まず、岩井医師が、右健康診断の時点あるいはこれに近い時点で、原告が慢性腎炎にかかっていることをどの程度確定的に認識し得たか否かにつき考える。

まず、右健康診断の際になされた岩井医師あるいは看護士の発問と原告のこれに対する答え及びその際に行われた検査の結果は、前記二2(二)(2)で認定したとおりであり、右認定事実の中には、岩井医師は、右健康診断により、原告が医師から腎炎であるとの指摘を受けたことがあること、尿蛋白が陽性(二〇+)であること及び血圧が一六八~一〇八mmgHであることを知ったことが含まれている。他方、<証拠略>によれば、慢性糸球体腎炎(原告の慢性腎炎が慢性糸球体腎炎であることは後記四1(一)で認定するとおりである。)の診断は、「腎炎の既往症歴がなく、かつ検査成績の変化が少ない場合には、困難を感じることが少なくない。過去に腎炎を経過したか、またはそれを思わせる症状があったか十分に聞き出すことが大切である。尿蛋白、ことに尿沈渣を繰り返し検査することが必要である。しかし、一方、過去に腎炎を経過し、かつ定型的な所見、すなわち尿蛋白、血尿、高血圧、腎機能障害などの見られる場合は、診断は比較的容易である。」ことが認められる。そうだとすると、岩井医師は、右健康診断から得た原告についての情報のみによっても、この時点で、原告が慢性糸球体腎炎である可能性が相当に高いことを認識することが可能であり、この時点での確定的診断は困難であったとしても、原告に対し、さらに過去の腎炎の経過を詳しく問いただし(必要があれば原告を以前に診た医師への照会をする。)、あるいは腎機能検査を実施して腎機能の低下の程度についての情報を獲得することなどにより、右時点に近い時点で原告が慢性糸球体腎炎であることを確定的に認識し得たものといってよい。

もっとも、被告は、原告が岩井医師の問診に対し「かつて患った腎炎は急性のものであった。」旨を答えたことを理由に、岩井医師が、後になるまで慢性糸球体腎炎と診断しなかったことに過失はない旨を主張し、承認岩井博の証言中にもこれに沿う供述がある。しかし、右岩井博の証言は、それ自体があいまいであるうえ、<証拠略>によれば、原告は、昭和五二年九月八日付けで、小林耕三医師から慢性腎炎で診察した旨の診断書を得ていることが認められ、右事実からすると、原告が岩井医師に対し過去の腎炎を特に急性のものであると具体的に答えるとは考えにくいことに照らして採用できず、他にも、岩井医師が原告が慢性糸球体腎炎であると認識することを妨げる事情があったことを伺わせる証拠はない。

(2) 次に、岩井医師が、原告が慢性腎炎にかかっていることを確定的に認識し得なかったことにより、その結果として、法務技官として原告に対してなすべき処置を怠ったといえるか否かにつき考える。

岩井医師が原告に対してなした治療の経過は前記二(2)(二)(2)ないし(4)で認定したとおりであり、右認定事実の中には、岩井医師は、<1>原告の高血圧に対処するために降圧散を投与したこと、<2>定期の血圧測定以外にも血圧の測定をしたこと、<3>「あまり辛い物を食べると血圧によくないから醤油とかソースの使用は控えめにするように」との生活指導をしたこと、<4>原告が感冒性腸炎にかかった際に、一応は疑っていた腎炎への悪影響をも考慮して、昭和五三年一一月一日から同月七日まで休養処遇を指示して病舎に収容したこと、及び<5>合計五・五日間の横臥の許可を与えたことが含まれている。また、岩井医師が、鳥取刑務所長に対し、原告が慢性腎炎であることに配慮した処遇をなすことを求める意見の具申を行わなかったこと及び原告が分類審査の結果鳥取刑務所の雑居棟第四舎六室に収容され洋裁工として第三工場に出役させられることになったことは、当事者間に争いがない。

問題は、右程度の処置しかなされていないときに、慢性腎炎にかかっている患者に対するものとして落ち度がない処置がなされた、といえるかである。<証拠略>によれば、慢性腎炎の患者に対し医師がなすべき処置は、血圧、尿の検査及び生化学検査等の諸検査を実施することにより患者の腎機能の低下の程度及び当該患者の腎炎を進行させあるいは進行を早めることになる要因を認識、発見し、これに応じて、患者に対し安静、食事等の必要な生活指導(この指導のうちで最も重要なことの一つは、患者に自覚的な健康管理を促すことである。)をなし併せて薬物の投与により腎炎を悪化させる要因を取り除くことであることが認められる。右基準に照らすと、本件においても、岩井医師には、前記健康診断に続いて早い時期に腎機能検査を実施することなどにより原告の腎疾患の有無・程度を把握し、原告に対して、まず自己が慢性腎炎の患者であること(あるいはそうである可能性が相当大きいこと)を十分に認識させたうえで腎炎に備えた自覚的な健康管理を促すべく疾患の程度(あるいはその判明の程度)に応じた適切な生活指導をなし、あわせて、受刑者の処遇についての最終責任者である刑務所長に対しても、原告が慢性腎炎の患者であること(あるいはその可能性が相当大きいこと)を告げてこれを念頭に入れた処遇を求めるべき義務があったものというべきである(なお、このことは、岩井医師自らが、その証人としての証言中で、慢性腎炎にかかっている患者に対する場合と腎疾患を伴わない高血圧の患者に対する場合とでは、医師として患者に対する生活管理のやり方は全く異なるとの趣旨の証言をしていることからも裏付けられる。)。右義務を前提にすると、岩井医師が現実になした前記処置には落ち度があったものという以外にない。

被告は、高血圧に対する治療方法に慢性腎炎に対するそれと一致する面があること(このこと自体は、前掲各証拠によっても認められる。)を理由に、岩井医師の処置に欠するところはなかった旨主張する。しかし、高血圧に対するものとしても右治療が十分であったとは認められないことはしばらく置くとしても、岩井医師のなすべきであったことには、単に高血圧に対する対症療法を施すことのみではなく、それ以外にも、腎炎の程度を正確に把握し右程度に応じて原告に対し適切な生活指導(このうち重要なことは原告に慢性腎炎の患者であることを自覚させることである。)をなし、あわせて原告が右指導に沿った生活を送り得るように処遇についての配慮を求めることが含まれることは、前記のとおりなのである。したがって、被告の右主張は採用できない。

(三)  (一)、(二)によれば、岩井医師には、法務技官たる医師として受刑者の健康保持に務め、その処遇についても刑務所長に対し適切な意見を具申すべき義務を怠った過失があるものというべきである。

3  鳥取刑務所長の過失

原告は、鳥取刑務所長は、鳥取刑務所の最高責任者として、受刑者を適切に処遇しその健康を損なうことのないようにすべき義務があったにもかかわらず、原告が慢性腎炎の患者であることを見過ごし、原告を病舎に収容するまでの間同人を健康な受刑者と同様に処遇した過失がある旨主張する。

刑務所長が、受刑者が健康を損なうことのないように処遇すべき責任を負っているということは、一般的、抽象的にいえば、原告主張のとおりである。しかし、少なくとも、刑務所内での処遇を原因として受刑者が傷害を負いあるいは発病した場合と異なり、本件におけるように、受刑者が刑務所に収監される前に既に病気にかかっていたのに、刑務所内でその病気にふさわしい処遇がなされなかったため、症状が進行したか否かが問題となっている場合には、右のような受刑者の処遇について具体的に責任を負うのは、原則的には、専門職の法務技官たる医師であり、刑務所長ではないというべきである。刑務所長は医療の専門家でないこと、刑務所には専門職の技官として医師が配置されていることから見て受刑者の右のような病気を発見しこれに対する適切な処遇を決定する責任を負うべき者は医師であり、これを刑務所長に負わせるのは相当でないと考えられるからである。もっとも、刑務所長が、医師から受刑者の病状を告知されたにもかかわらずこれを無視したとか、受刑者の直接の訴えによって医師からの告知とは無関係に独自にその病状を知ったとかいった特段の事情がある場合は別である。しかし、本件においては、右特段の事情に該当すべき事実は認められない。(なお、一刑務所長が右法務技官たる医師の監督責任を問われる余地のあることは別論である。しかし、原告が刑務所長について右責任を追及しているものでないことは明らかである。)したがって、原告の右主張は採用できない。

四  因果関係

1  原告が昭和五四年九月一八日に末期腎不全(人工透析を必須とする容態)となったことは当事者間に争いがない。そして、原告の請求は、前記三2で認定した岩井医師の過失がなければ原告は一生末期腎不全に至ることはなかったであろう、ということを前提に、逸失利益、慰藉料等の支払を求めるものである。そこで、まず、右前提が認められるか否か、すなわち、岩井医師の右過失がなかったら原告は一生末期腎不全に至ることはなかったであろうと認められるか否かにつき検討する。

(一)  <証拠略>によれば、<1>腎臓障害には、他の全身性疾患、例えば糖尿病、膠原病等を原疾患として発症するもの(これを二次性という。)と腎疾患それ自体を原因として発症するもの(これを一次性という。)とがあること、<2>原告には、右でいう全身性疾患が見当たらないので、その腎臓障害が二次性のものとは認められないこと、<3>原告の腎疾患は、腎臓の皮質中にある糸球体の損傷による機能喪失によるもの(慢性糸球体腎炎)と認められること、<4>慢性糸球体腎炎の中にも種々のものがあるが、最も多いのはIgA腎症であることから原告もこれである可能性が高いこと、及び<5>慢性糸球体腎炎には、末期腎不全に至ることを避けられるものとそうではないものがあることが認められ、右認定に反する証拠はない。

(二)  岩井医師の前記過失がなければ原告は一生末期腎不全に至ることはなかったであろう、と認められるためには、右認定の下では、原告の慢性糸球体腎炎が末期腎不全に至ることを避けられる性質のものであったことが証明されることが必要である。

そこで、以下この点につき考える。

(1) 本件では、右の点について、腎臓移植及び移植臨床を中心とした移植学並びに末期腎不全の治療を専門とする医師である浅原利正(この事実は<証拠略>によって認められる。)の「原告の慢性糸球体腎炎は非進行性であって、末期腎不全に至ることを回避できる性質のものであった。」とする意見書(<書証番号略>―以下、浅原意見書という。)と腎臓病学・透析の研究及び臨床を専門とする医師である大森浩之(右事実は<証拠略>によって認められる。)の「原告の慢性糸球体腎炎は進行型であって、末期腎不全に至ることは避けられない性質のものであった。」とする鑑定書及び意見書(<書証番号略>―以下、合わせて大森意見書という。)との見解を全く異にする意見書が証拠として提出されているので、以下、右各意見書が掲げる論拠を検討する。

浅原意見書が右結論を導く論証過程は、以下のとおりである。

慢性糸球体腎炎には、適切な治療及び生活指導並びに右生活指導の遵守(療養等)がなされたにもかかわらず末期腎不全に至るという意味での「進行性」のもの(なお、「進行性」のものであっても末期腎不全になる時期を療養等により遅らせることは可能であるから、ここでも療養等が重要であることはいうまでもない。)と、療養等により腎炎の進行を止めることができるが、これらがなされず腎炎にとって増悪要因となるものが加わったときには進行が開始するという意味での「非進行性」のものとがある。腎炎の予後が右のうちのどちらであるかを確定するために最も有効な手段は腎生検(腎臓外部側の皮質組織を採取し直接に腎臓の組織的変化を検査するもの)である。しかし、原告については腎生検が行われていないから、これによって予後を確認することはできない。しかしながら、<1>慢性糸球体腎炎のうちで、「非進行性」のものは、全体の七〇ないし八〇パーセントを占めること、<2>前記のとおり原告の慢性糸球体腎炎がそうである可能性の高いIgA腎症の予後は一般に良好とされていること、<3>別表に示された検査の数値から見て原告の昭和五二年四月二五日時点での腎機能の低下はごくわずかであり、また、同じく別表に示されたとおり昭和五三年七月までの間は血圧もほぼ正常値であったこと等から、原告の腎炎が「進行性」であったとする特別な所見はないといえることを総合すると、原告の慢性糸球体腎炎は「非進行性」であったと結論づけられる。

しかし、右論証にはいくつかの疑問点がある。

第一の疑問点は、慢性糸球体腎炎のうちの七〇ないし八〇パーセントが浅原意見書で使われている意味での「非進行性」であるとの見解が、これを裏付ける根拠・資料を示すことなく表明されていることである。もっとも、浅原意見書には、「厚生省特定疾患慢性腎炎調査研究班の報告(<書証番号略>)は、適切な療養等の欠如から人工透析に至った五二・四パーセントの患者の中に、多数の非進行性腎炎があったことを統計的に証明した。」旨が記載されている。しかし、<証拠略>によれば、右報告中に、研究対象となった一〇七例の症例のうちで、五二・四パーセントの症例が、腎不全または尿毒症による苦痛を伴う自覚症状が出現するまで慢性腎炎を放置していた例であるとの記載はあるものの、右症例のうちの多数が非進行性腎炎であった旨の記載はないことが認められる。なお、<証拠略>は、もともと、現実に人工透析を要する状態に至っている患者一〇七名について右状態に至るまでの経過を明らかにすることを目的とする研究の報告であり、そこでは、研究の結果として、右一〇七例中の多くは治療又は適切な治療を受けないまま右状態に至った例であることが明らかになった旨が示され、これらにつき、患者自身あるいは医師の判断や行動に適正を欠く点があったことが指摘されている。したがって、右報告から明らかにできるのは、現実に人工透析を要するに至っている患者の中にも、もし適切な治療等がなされていたならそうなっていなかったかもしれない者が非常に多い、という限度であり、それ以上でも以下でもないのである。換言すれば、適切な治療等がなされたにもかかわらず人工透析に至った例は少数であることを明らかにすることにより、適切な治療等が有効である可能性を明らかにし、その重要性を指摘する限度で右報告は意味を有するのであり、適切な治療等が現実にどの程度有効であるかについての資料が示されているわけではないのである。(適切な治療等がなされていたとしても結果は同じであった、との可能性も、右報告の範囲内で論ずる限り、十分認められる。適切な治療等の持つ有効性自体を示す資料は右報告には含まれていないからである。

次の疑問点は、IgA腎症の予後が良好とされていることが、原告の慢性糸球体腎炎が「非進行性」であることの根拠に挙げられている点である。まず、原告の慢性糸球体腎炎がIgA腎症であることは、可能性が高いというだけで、これを確定する資料があるわけではない。さらに、仮に原告の慢性糸球体腎炎がIgA腎症であったとしても、<証拠略>によれば、IgA腎症のうちで非進行型(ただし、ここでいう「非進行型」には、後記大森意見書について検討する際に述べるとおり、浅原意見書でいう「非進行性」とは異なる意味が含まれている。)のものは一六・七パーセントであるとの報告がなされており、この疾患が当初考えられていたほど予後良好な疾患ではないとの報告もなされていることからすると、これを「非進行性」の根拠とすることには疑問の余地がある。

第三の疑問点は、昭和五三年七月の時点までは、腎機能の低下がごくわずかであり、血圧も正常であったことを「非進行性」の根拠とする点である。確かに、この事実は、原告の慢性糸球体腎炎が右時点まではそれほど進行していなかったことを示す点では有用である。しかし<証拠略>により、すべての慢性糸球体腎炎には固定期(腎炎が進行しない時期)があることが認められることからすると、右事実を直ちに「非進行性」であったことの根拠とすることには疑問がある。

一  方、大森意見書が前記結論を導く論証過程は、以下のとおりである。

慢性糸球体腎炎には、腎機能が正常で、進行性のない予後良好なもの(これを「非進行型」という。)と、腎機能障害を認め、しばしばネフローゼ症候群や高血圧症を示す進行性のもの(これを「進行型」という。)とがある。「非進行型」のものは、治療を施さなくても病態は安定しており、腎不全に至ることはない。他方「進行型」のものの進行を阻止する治療法は未だ確立されていない。現に、大森医師が所属する重井医学研究所付属病院において、昭和五四年から同六一年までの間に、腎生検を施行し、「非進行型」の慢性腎炎と診断した症例は一三五例を数えるが、これらの症例に対しては特別な治療は施しておらず、経過のみを観察しているにもかかわらず、追跡し得ている症例の中で、症状が進行し腎不全に至った症例は一例もない。原告については、昭和五二年四月二五日以降、腎機能が低下し結果的に腎不全に至ったこと及び経過中継続して高血圧がみられ、加えて昭和五四年五月ころネフローゼ症候群を呈したことから、「進行型」であったことは確実である。

しかし、右論証にも疑問がある。大森意見書の右論理からすると、末期腎不全に至ったことがすなわち「進行型」腎炎であったことのなによりの根拠となることになり、末期腎不全に至った症例について「非進行型」腎炎であった可能性をうんぬんすることは全く意味を持たないことになるはずである。ところが、<証拠略>によれば、大森意見書の中には、「腎生検を実施することによる病理組織学的診断及びその所見が慢性腎炎の治療法の決定及び予後の判定に大変重要な意味をもっております。それゆえ、この検査が行われていない症例に対しては治療が有効かどうか、非進行性か進行性かということを論ずることはできません。しかし、結果論ながら原告の症例が血液透析を必要とするに至った事は進行性の腎炎であったということは推測可能であります。」旨の箇所があることが認められる。少なくとも右見解のみからすると、結果的に血液透析を必要とするに至った症例についても、「非進行型」のものである可能性は残されていると考えるのが自然である。さらに、大森意見書の論拠とされている重井医学研究所付属病院での実例報告についていうと、ここで述べられている「経過観察」の中身が問題なのではないか。すなわち、ここで述べられている「経過観察」とは、病床数一五〇床を有する大病院(この事実は<証拠略>によって認められる。)で腎生検まで受け、腎臓に疾患があることを指摘された患者でしかもその後も当該病院と連絡を保っている患者に対しなされている「経過観察」である。ここでは、腎炎患者に対する適切な生活指導とその遵守が背後に存在していることを伺うことができる。このような環境に置かれた患者について、腎不全に至った症例がないからといって、このことから、直ちに、「非進行型」の腎炎は治療を施さなくても腎不全に至ることはないとの結論を導くことには、やはり疑問が残る。

(2) (1)で検討したところからすると、浅原意見書及び大森意見書のいずれについても、その結論に疑問が残り、右各意見書のみからでは、原告の慢性糸球体腎炎が末期腎不全に至ることを避けられる性質のものであったか否かは決することはできない。他にもこれを決するに足りる証拠はない。

(三) 結局、原告の慢性糸球体腎炎が末期腎不全に至ることを避けられる性質のものであったことについての証明は、なされていないといわざるを得ない。そして、そうだとすると、岩井医師に過失がなければ原告は一生末期腎不全に至ることはなかったであろう、との認定もできないことになる、したがって、右認定ができることを前提とする原告の請求は、その余に触れるまでもなく、理由のないことが明らかである。

2 しかし、岩井医師に過失がなければ原告は一生末期腎不全に至ることはなかったであろうことを前提とする原告の請求は、末期腎不全に至ることを遅らせることができなかったことにより原告が被った損害をも予備的にその対象とするものと解すべきである。そこで、以下これにつき考える。

(一)  原告の病状経過は、前記二2(一)(1)で認定したとおりである。これによるときは、<1>昭和五三年三月一〇日と同年一二月二五日の各時点での検査結果を対比すると、クレアチニン値が一・五から二・〇に、尿素窒素の値が一八・一から二一にそれぞれ上昇していること、<2>尿蛋白は、同年八月一九日の時点で二〇+であったものが、同年一二月二五日の時点では三〇+になっていること、<3>同年八月一九日の時点で認められなかった浮腫が同五四年一月五日には認められるようになったこと、及び、<4>同年一月五日以降はクレアチニン値及び尿素窒素の値のいずれもが短期間に急激に上昇していることが認められ、右各事実からすると、原告の慢性糸球体腎炎が、鳥取刑務所入所時である昭和五三年八月一八日から病舎に収容される昭和五四年一月五日までの間に進行したことは明らかである。

原告は、右腎炎の進行は、岩井医師の過失を原因とする原告に対する不適切な処遇が慢性腎炎の増悪要因となったためである旨を主張し、<証拠略>及び浅原意見書には右主張を支持する見解が表明されている。これに対し、被告は、原告の慢性腎炎の進展に寄与する最大の因子は患者である原告自身のいわゆるナチョラルヒストリーすなわち腎炎本来が有する病変そのものである旨を主張し、大森意見書には、被告の右主張を支持し、「昭和五三年三月一〇日から同年一二月二五日までのクレアチニン値の上昇は腎炎本来の進展による自然の増悪であった可能性も十分考え得る範囲の動きである。原告の腎炎は昭和五三年一二月二五日以後、急速な進行を遂げているが、このことは本例がいったん増悪し始めると急速に進展するところのナチョナルヒストリーを有する型の進行型腎炎であることを示している。このような型の慢性腎炎の場合は、十分な治療を行った症例においても、途中から本例と同様、急速に進行することは通常経験されるところである。」との趣旨の見解が表明されている。

(二)  そこで、岩井医師の過失により原告の慢性糸球体腎炎が進行したといえるか否かにつき考える。

(1) <証拠略>によれば、慢性糸球体腎炎の進行を開始しあるいはその進行を早める要因とその治療法についての一般的法則として以下のものが認められ、右認定に反する証拠はない。

<1> 慢性糸球体腎炎の増悪要因としては、過労、高血圧、感染症、寒冷等のいわゆるストレス及び蛋白質の過度の摂取が挙げられる。

<2> そして、これに対する治療法としては、安静と感染の予防を主な目的とする一般療法、蛋白質の制限と高血圧のある場合の塩分の制限を主な目的とする食事療法及び高血圧に対する降圧剤の投与、浮腫に対する利尿剤の投与等の薬物療法がある。

(2) 右一般的法則を前提に、原告に対してなされた現実の処遇につき検討する。

<1> 高血圧対策について

岩井医師が、原告の高血圧に対してなした治療は、降圧散及びアルドメッド、ポリレグロン等の降圧剤の投与と「あまり辛いものを食べると血圧によくないから醤油とかソースの使用は控えめにするように」との原告に対する指示であったこと、岩井医師の右治療にもかかわらず、原告の血圧は降下せず、鳥取刑務所入所後かえって上昇傾向にあったこと、及び、右各治療が、岩井医師の過失により、もっぱら高血圧症に対する治療として行われたことは先に認定したとおりである。これらのことからすると、まず、原告に対してなされた治療は、薬物療法としてはともかく、食事療法という観点から見ると、「高血圧が常態化することが慢性腎炎の増悪要因となるから、塩分を制限して高血圧の抑制を図ることが慢性腎炎に対する食事療法として大切である。」ことの説明が原告に対して全くなされていない点において不十分であるということができる。そして、浅原意見書が「昭和五三年八月から同年一二月までの期間において、原告のクレアチニン値に示される程度の腎炎(腎障害)で、血圧のコントロールができないということは充分な治療がなされていないことを意味すると考えられる。」と指摘していることからしても、原告に慢性腎炎であることを明確に認識させたうえで、徹底した降圧療法と生活管理がなされていたとしたら、腎炎の進行にとって増悪要因となる高血圧を除去することは可能であったと認めることができる。

<2> 過労及び寒冷等のストレス対策について

まず、<証拠略>に資料として付されている厚生省特定疾患慢性腎炎(腎機能不全)調査研究班作成の「腎炎患者安静度表」、「安静度基準点数表」及び「重症度点数表」を基準に、原告が鳥取刑務所に入所した時点でどの程度の「安静度」を必要としたかにつき考える。<証拠略>によれば、原告が鳥取刑務所に入所したときになされた健康診断における検査結果として、拡張期血圧については一〇八mmHg、尿蛋白については二〇+、尿沈赤血球数については一視野当たり一〇ないし一二の数値が得られたことが認められる。右「安静度基準点数表」で点数を定めるもう一つの要素とされているGFR(糸球体濾過値)は、生化学検査がなされていないことから確定できないが、<証拠略>によれば、大森意見書によって右入所時点でのGFRが四〇mg/dlと推定されていることが認められるので、この数値を採用することとする。そして、以上の数値を右「安静度基準点数表」に当てはめると合計点数は九点以上となり、これを右「重症度点数表」に照らすと、原告の「安静度」は[4]「休業」であったことが認められる。とすると、原告は、右「腎炎患者安静度表」による限り、右入所時点で、作業としては、「動く必要のない軽労働例えば店番など」に制限され、外出・歩行についても「短時間の外出までとする」ことが必要であり、スポーツ・レジャーは禁止される状態であったことになる。

それでは、原告の鳥取刑務所での労役内容、日常生活の時間割り、居住環境、就労環境及び同刑務所収容時の気象状況は現実にはどうであったかというと、それは前記二3で認定したとおりである。これによるときは、原告は、<1>免業日を除いて、毎日午前七時五〇分から昼食・休憩を挟んで午後四時三〇分までミシン作業に従事したこと、<2>暖房が十分にはなされていない居住、就労環境であったこと、及び、<3>拘禁自体で精神的に緊張を強いられているのに、舎房にいる間でさえ身体を横たえることが禁止され、あるいは工場の出入りの度にいったん裸身になり検査を受けなければならなかったこと等により、「安静」とは程遠いストレスの強い日常生活を送らざるを得なかったということができる。

右によれば、原告の鳥取刑務所内での生活は、腎炎患者として必要とされていた「安静度」を満たすものとはいえないことが明らかである。また、岩井医師が、原告が慢性腎炎であることを入所時の健康診断で発見し、腎炎の進行に注意を払っていれば、遅くとも鳥取刑務所収容後の早期に右「安静度」を満たす生活を送らせることが可能であったことも明らかである。したがって、岩井医師に過失がなかったなら、原告の腎炎の進行にとって増悪要因となる過労及び寒冷等のストレスを除去することは可能であったというべきである。

<3> なお、感染症及び蛋白質の過度の摂取に対する対策という点については、「慢性腎炎に対しこれらが増悪要因となる」ということ自体を原告に伝え、自覚を促すことを怠ったという点において岩井医師に過失は認められる(この過失は、原告の慢性腎炎を見過ごしたという過失からほとんど必然的に生まれる)。しかし、これを別にすれば、前記二の2二(三)で認定したとおり、岩井医師は原告が感冒性腸炎にかかった際には休養処遇を指示して一週間は病舎に収容していること、及び、鳥取刑務所での食事内容にどの程度の蛋白質が含まれていたかを認定できる証拠がないことからすれば、これらの対策に落度があってそれが原告の腎炎を進行させる要因となったと認めるのは困難である。

(3) (1)、(2)で認定した事実からすると、原告には、昭和五三年八月一八日から翌五四年一月五日までの間に、慢性腎炎の増悪要因とされる高血圧、過労及び寒冷等のストレスがあり、これらは、いずれも、岩井医師に過失がなければ除去することが可能であったものであるということができる。

(三)  (二)で認定したとおり、原告の身体症状及び日常生活に、慢性腎炎の進行を早める要因があることが認定でき、かつ、岩井医師の過失がなければ、これを除去することが可能であったことも認められる以上、原告の慢性腎炎が進行した原因をいわゆるナチョナルヒストリーのみに還元する前記大森意見書の見解は採用できない。むしろ、右認定の下では、岩井医師の過失がなければ、原告の慢性腎炎の進行を遅らせることは、その程度は別として、可能であったと判定するのが合理的というべきである。

(四)  しかし、岩井医師の過失がなかったら原告の慢性腎炎の進行をどの程度遅らせることができたか、特に末期腎不全に至る時期をどの程度遅らせることができたかという点については、本件全証拠に照らしても、結局のところ明らかでないといわざるを得ない(本件でこの問題に直接触れたものとしては、<証拠略>があり、これによれば、クレアチニン・クリアランス試験による数値が毎分七五ml以上であれば、とにかく七年以内に尿毒症に陥ることは極めてまれであることが認められる。しかし、原告について、この数値を認めるに足りる証拠はない。なお、大森意見書には、この期間がせいぜい数箇月であるとの見解が示されているが、この見解の根拠は不明であり、これを採用することもできない。)。したがって、右期間が一定以上に明確に特定されることを前提とする損害の賠償は、本件では認めることができない。

五 責任

法務技官たる岩井医師が国の公務員であり、その職務として行われた受刑者たる原告に対する医療行為が公権力の行使に当たることは、明らかである。したがって、被告は、岩井医師の過失により原告が損害を被ったとすれば、その損害を賠償する責任がある。

六 損害

1  岩井医師の過失がなかったら原告は一生腎不全に至らなかったであろう、との前提の下に認められる損害の賠償を求める原告の請求が理由がないことは、既に述べたとおりである。

2  岩井医師の過失がなかったとした場合に原告の腎炎の進行をどの程度遅らせることができたか、特に、末期腎不全に至るのをどの程度遅らせることができたかを、一定以上に明確に特定して認定できることを前提とする損害の賠償が認められないことも、既に述べたとおりである。

3  しかし、<証拠略>によれば、原告は、昭和五四年九月一八日刑の執行停止により出所して以後、毎週三回、一日の所用時間が約五時間にもわたる人工透析を受けてきていること、このような人工透析を受けること自体及びこれを必要とするまでに進行した腎炎に対処するために必要とされる日常生活上の種々の制限によって被る肉体的、精神的苦痛には多大なものがあることが認められる。そして、右事実を前提に、<1>岩井医師が前記健康診断の結果等から原告が慢性腎炎にかかっていることあるいはその可能性が相当大きいことを容易に認識できたことは前判示のとおりであり、同医師の過失の程度は低くないというべきであること、<2>一般人とは異なり拘禁中の原告には他に医師を選択する自由も生活態様を決定する自由もなかったこと、<3>本件で原告が因果関係の立証に成功しているといえないことは前判示のとおりであるにしても、この時点で、生化学検査あるいは腎生検を実施し、右検査の結果にしたがって適切な治療をすることにより慢性腎炎の進行をくいとめる可能性があったことを否定することはできず(このことは、先に、大森意見書に対する疑問として述べたとおりである。)、右の可能性を奪われたこと自体による原告の無念な思いは、それ自体慰藉料の判断要素として十分に考慮すべき事由であるというべきであること等を総合すると、原告が、拘禁されるに際しても、拘禁後の問診等に際しても、自己の慢性腎炎を重要視する態度に出なかったこと等原告にも責められる事情があることを考慮に入れても、原告の被った精神的苦痛に対しては慰藉料の支払という形で賠償がなされるべきであり、その額は金五〇〇万円と認めるのが相当というべきである。

七 結論

以上によれば、原告の請求は、金五〇〇万円及びこれに対する不法行為の日以後である昭和五八年一一月五日から支払済みまでの民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、その余は失当である。そこで、右正当な部分を認容し、その余を棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用し、仮執行の免脱を求める申立ては相当でないと認めて却下して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山下和明 裁判官 神吉正則、裁判官 野々上友之はいずれも転補のため署名捺印をすることができない。裁判長裁判官 山下和明)

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